今回は芥川賞受賞作品のハンチバックについて書いていきます。
賛否両論あるのかもしれませんが、個人的にはとても好きな作品です。
どんな人に読んでほしいかと言うと、全ての人に読んでほしいのですが、
特に、
- 医療関係の方
- 介護領域に携わる方
- 障害に携わる全ての方
以上の方は仕事の関係上、とても考えさせられる内容なのではないかと感じます。
わたしがリハビリ関連の仕事をしているので、患者さんや利用者さんの心の中を少し感じたように思います。
管理人について
- 15年目の理学療法士
- 現在は病院のリハビリと訪問リハビリ担当
- 各町内会で介護予防教室で指導も実施
- 読書が好き
一部ネタバレも含みますので、まだ読んでいない方は注意してください。
それでも良いという方は読み進めていただけたら幸いです。
ハンチバックの概要
主人公の井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。
両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウント「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。
ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し…
Amazonの説明より引用
私が惹かれた言葉と感想
他の人のハンチバックの感想文や要約をみて被るところもあるかもしれませんが、わたしの考えさせられた部分を引用しながら書いていきます。
紙の本を憎んでいた
私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、5つの健常性を満たすことを欲求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
この文章を読んだときに、健康で普通に読書が出来ていることってありがたいことなんだよ?
それを当たり前だと思ってない?
それすらも気づいてないでしょ…
そんなメッセージを受け取りました。
障害を持った人とたくさん関わってきた自分が恥ずかしくなりました。
ハンチバックでは読書で例えられていますが、食事や着替え、トイレが出来ない人もたくさんいます。書く、話すことすら出来ない人も…
わたしは毎日仕事で関わることで、日常生活を送ることがどれだけ大変なのかを忘れていました。良くないかもしれませんが、慣れてしまっていた。
もっと患者さんや利用者さんの声に耳を傾けなければ。
声に出してくれるとは限らない。我慢して必死に堪えている患者さんたちは多い。
そこに気づける、気づこうとする、目を凝らす。
医療職として大切なことを学んだ一文だったと感じます。
堕ろすところまでは追い付きたかった
あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。私はあの子たちの背中に追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。
主人公の井沢釈華は、ミオチュブラー・ミオパチーという病気である。
筋肉が弱っていく病気のため、人工呼吸器を使用したり、背骨も大きく曲がっている。
つまり、健康な女性のように子どもをお腹の中で育てることは難しく、産むことも難しい。
でも子ども宿し、堕ろすところまでなら障害のある身体でもできる。
少しでも普通の女性のようになりたい。
女性としての尊厳なんだと思う。ずっと一人の女性として生きてくることが出来なかった。我慢してきた。
わたしも仕事でリハビリをするときに、大事にしているのは人としての尊厳。
患者さんは歩くことにこだわる方が多い。
障害で歩くことが大変で、車椅子を使ったほうが実用的なのに歩くことへのこだわり。
ハンチバックを読んだときに感じたのが、少しでも普通に近づきたい!って思い。
リハビリ界隈では、歩行は移動手段に過ぎないって考えている人も少なくない。わたしもそう考えている。
でも患者さんにとっては人としての尊厳そのものなのかもしれない。
歩けるようになってどこに行きたい?そんな目標をわたしたちは求めがちだ。目標や目的がないなら別に歩行を選択する必要はないよね。
そんな言葉も耳にする。
目的や目標以前の問題なのかも。
人として歩くことにこだわって何が悪い?本人の人生だ。とことんPTとして向き合いたい。
そんなことを再度考えさせてくれた一文だった。
生きるために壊れる
生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる。生き抜いた時間の証として破壊されていく。そこが健常者がかかる重い死病とは決定的に違うし、多少の時間差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。
今思うと、生きるために壊れるのは私達でも在りうるなと感じた。
少し専門的になるが、脳卒中の方は筋肉をつけて、歩いたり活動すればするほど筋緊張は高まることが多い(必ずしもそうではないが)
緊張が高まると足首が下を向いた状態で固まったり、肘が曲がった状態で固まってしまうことが少なくない。
当事者からしたら生きるために壊れると言えるのではないか?
歳を取れば、腰が曲がってしまうお年寄り。
女性は膝が曲がり、O脚になる方もいる。
みんな生きるために壊れるのだと感じる。
そんな方たちの力になるために私達、リハビリ職は存在しているのだと感じています。
ハンチバックはそのことに改めて気づかせてくれた小説だと思う。
まとめ
いかがだったでしょうか?
わたしは医療者の立場でハンチバックを読みました。
たくさん書評を書いている方のように深い読み方は出来ていません。
ですが、実際の臨床場面に役立つヒントがある小説だと感じました。
おそらく重度障害者の方が書いた小説でなければここまで惹かれることもなく、読もうとも思わなかったのではないかと感じます。
障害の程度に関係なく、障害を持った方はどのような気持ちでいるのか?
生きづらさとは?
健康であること、普通とはなにか?
いろんな考えが頭の中を巡る小説です。
是非気になった方は手にとってみてください。